この期間、ちょこちょことアクセスをもらって、思わぬ嬉しいレスポンスもあったりして、自分を表現するっていうのは楽しいもんだなと感じる毎日だった。
一段落をつける最後として、この本を紹介したい。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
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個人的には最終章の「英語教育と日本語教育」での作者の主張には同感した。すでに義務教育は英語に重きを置きすぎていると思う。英語教育そのものは義務教育に 含めるべき普遍的な重要性があるとは思う。しかし、全ての国民にとって英語の必要性は千差万別で、これ以上強化するのは同じく重要な他の教科とのバランス を欠く。
あと残念ながら、義務教育の時間で英語の授業を多少増やしても日本語話者はそんなに英語はうまくなれない。絶対的に時間が不足している。 やるなら(現実的な制約は抜きに)、アメリカンスクール並ぐらい極端にすれば多少良くなるが、それでは当然他の授業に割り当てる時間が不足する。英語が しゃべりたい、話す必要がある、という日本人は自らの時間を使って勉強すればいいのだ。
私のような日本文化を深く自分の拠り所としている人間が、英語とどう向き合っていくか考える上でいい本だった。同じく英語に非常な関心をもって勉強しているであろう本ブログを訪れた方々にとってもいい本だと思う。
実は私はそんな重い内容とは別にこの著者の経歴に興味をそそられたので記しておく。
この著者は小学生の時にアメリカに移り住み、アメリカの大学卒業してからもずっとアメリカで仕事をしてきた人であるにも関わらず、あくまで日本語中心な人なのだ。
英語優勢な子どもたちに日本語をいかに学ばせるかに四苦八苦している私にとって、「本当?」と思わずにはいられない人物である。大学時代も帰国子女の友人がかなりいたのだが、みんなアメリカナイズされていて、アメリカ的であることをどこかしら誇りにしていて、会話の中でも何かと英語を使おうとする人ばかりだった。子どもたちの日本語補習校でのクラスメートをみたってそうだ。皆、注意しないと英語ばかり話してしまう。やっぱり小学生でも高学年でアメリカにやってくると、著者のようになるケースがあるのだろうか。
本はもちろん日本語で、著者も割りに砕けた表現をしているので固い本ではないが、相当に読み応えのある内容なのでサラリとは読めないだろう。でもブログの最後を飾るにはこんな本がいいかなと思っている。